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アトツギの挑戦#12 受け継がれる会社への想い、地域への想い

アトツギの挑戦#12 受け継がれる会社への想い、地域への想い

筑後地域で新しいチャレンジを続けるアトツギ経営者をご紹介するこの企画。
今回は、福岡県八女市にある株式会社アズマの現社長と将来的に会社を継ぐこととなる専務取締役の二人に話を伺いました。
会社が掲げるユニークな理念「みんなHAPPY!」「強い田舎をつくりたい」についての想いや、アトツギとしての考えについてインタビューしました。
アズマが描く会社と地域の未来は一体どのようなものでしょうか?

-プロフィール-
中島 一嘉(56)
1969年3月22日 生まれ
代表取締役社長
父が創業した「ソーラーのアズマ」に1991年、入社。入社後は建築板金の職人、部門長などの経験を経て、2003年より、先代から引き継ぐ形で代表取締役社長(2代目)へ就任。
「みんなHAPPY!」や「強い田舎をつくりたい」という理念のもと、太陽光事業をはじめとした様々な新しい取り組みに挑戦している。

-プロフィール-
中島 勘太郎(32)
1993年2月26日 生まれ
専務取締役
三人兄弟の長男として生まれる。大学卒業後はオーストラリア、ニューヨーク、東京で飲食業界にて就労経験を経たのち、2021年に株式会社アズマに入社。
専務取締役の仕事を行いながら、「やめスマ研究所」を立ち上げ、高校生との交流やワークショップなどを通じ地域の活性化に向けて活動を行っている。

先日、モトムットでアズマさんの採用動画を制作させていただきましたが、まずはそのご感想をお聞かせください。

社長)動画良かったよ!会社の次の世代を担う人たちが、自分たちの言葉で現時点での考えを表現してくれたのがすごく嬉しかったです。動画を見てくれた方にもそれが伝わればいいな。

 

勘太郎)昔は大人が仕事をしている姿が日常的に見えていましたけど、今はでき上がった製品を見ることはあっても、誰がどういう風に仕事をしているかイメージしづらいと思うんですよね。特に建築業は顕著で、そういった部分を動画で出していただけたのはすごく良かったです!

 

▼動画「強い田舎をつくりたい」

社)自分たちは板金や太陽光の事業を中心に仕事をしているけど、本当は「町をつくっている会社」と言いたいです。
板金、太陽光というのは手段であって、スタッフがチャレンジしたいことに自由に挑戦できて、町づくりをしている。そんな会社になりたいと思っています。

 

勘)うちの起源は板金工事で、地域や世の中の状況を見て1999年から太陽光事業に参入しました。工事屋としてスタートしましたが、地域のためにやれることはまだまだある中で、会社としても常に変化をしてきました。今後は工事に関わらない事業も生まれていくかもしれないですね。

株式会社アズマとは
建築板金および太陽光パネルの設置、メンテナンス事業を中心に地元八女で46年営む会社。
「強い田舎をつくりたい」「みんなHAPPY!」という目標を掲げており、利益追求だけでなく、地域の持続可能性を意識した事業運営が特徴。
地元の学生と共に「八女・石巻交流プログラム」や地域の担い手や若者の活動を促す「あんたの出番よ!全国地域エネルギーサミット」にも携わっており、まちづくりを意識した幅広い活動を行っている。

 

社長が会社を継いだ当時の想いを聞かせてください。

社)正直何も考えてなかったですね(笑)
とにかく家族を食わせる、この思いが当時の正直な気持ちでした。

ただそれとは別で、世間的な職人の地位の低さには課題を感じていました。その解消のために「太陽光事業」を始めとした色んなチャレンジをしてきた。
そんな中、「町を元気にしたい」という思いが芽生えたのは、実はリーマンショックがきっかけでした。
これまでの仕事は地域があったからできていたわけで、この地域が無くなると自分たちの存在価値そのものが無くなってしまうということに気がついたんです。
職人の地位向上、そして会社を通して地域を元気にする。
その二つを軸にアズマとして、自分たちなりに追求してやってきました。

勘)3年前、家業に入りましたが、正直働くまで会社の実態や仕事の具体的な中身を知らなかったんです。でも、自分の気持ちとして変わらず持っていたのは、「アズマで働いている人が好き」という気持ちです。
祖父が社長だった頃、アズマの社員さんは当時子供だった私と毎日遊んでくれました。また、社長が地域を想って仕事をしているから、どこに行っても可愛がっていただきました。そのことが嬉しくて、今でも覚えています。
そうした想いや経験があるからこそ、社員が笑顔で働けて、社員ひとりひとりが地域にとって良い影響を与えられるような会社にしたいです。
今は工事の仕事をしていますが、地域への想いがあれば今後どんな業種にもチャレンジしていいと思っています。もちろん起源が工事屋という強みは生かしたいですが、「こういう社員がいるから、こんなこともできる」という部分も今後は探っていきたいと思います

 

息子さん(アトツギ)に対する期待やそれを受けた感想をお聞かせください。

社)働いてくれているスタッフがハッピーになるようにということと、「強い田舎をつくりたい」という軸はぶれないでほしいと思っています。
特に「ハッピーでいてね」という想いは会社の長としてもだけど、親としても感じます。みんなが楽しく笑えている状態が一番で、なによりも期待しているのはそこですね。

勘)(家業に入る前)タイや台湾などに短期間行ったことがあったのですが、現地で3、4歳ぐらいの兄弟がダンボールの上で寝ているのを見たんです。その子たちに一時的なお金を与えたとしても、きっと根本的な解決には繋がらない。やっぱり幸せや生活のためには「継続的な仕事」が必要だということを実感しました。
自分はこれまで何不自由なく育ててもらいましたし、東京や海外での就労経験など様々な経験もさせてもらいました。
そんな自分だからこそ、仕事を通して地域に対してやらなくちゃいけないことがあると思っています。だから社長が私に期待していることは、自分の気持ちと方向性が同じなので、実はそこまで期待に対する負荷は感じていません。
むしろ自分自身で使命感というプレッシャーを与えています(笑)

 

アトツギが戻って来たきっかけを教えてください。

社)勘太郎に戻ってきてほしいと言ったのは自分だったのですが、理由は自分のわがままでした。というのも、これから会社を大きく変えていこうという気持ちはあったものの、自分1人で変えられるものではないと思っていたし、何よりスタッフに迷惑をかけてしまうという気持ちがあった。
そこで、東京にいた勘太郎に3年前、「戻ってきて手伝いをしてほしい」という相談をしました。

 

勘)その時は新橋のスタバで話をしたんです。その日は父と会うのにわざわざおろしたてのスーツを着て行きました。
というのも、当時コロナの影響で予定していたニューヨークに行けなくなり、別のチャレンジをするため転職の話を父にするつもりでした。
そんなタイミングで会社を手伝ってほしいという話が来たので、二つ返事でOKしました(笑)
何か挑戦をしたいと思っていた時だったので、タイミングが良かったんですよね。

 

社)戻って来てくれたのは凄く嬉しかったんだけど、正直いざ会社を継ぐ人間が来るとなると、こっちはプレッシャーを感じましたね(笑)

 

息子さんが仕事を継ぐことについてはどう思っていますか?

社)息子は長男の勘太郎、次男の匠太郎が現在アズマに勤めていて、三男は今は別の会社で電気関係の仕事をしています。将来的にはアズマをこの三人が引っ張っていくことになると思いますが、正直めっちゃ心配ですね(笑)
世間一般としては、兄弟で会社をやるとなるとうまくいかないというのが通説。
でも3人とも得意分野が分かれていることを考えると、うまく協力してくれるのが会社としてもベストだと思っているし、親としてもそれが理想。

 

勘)3人の得意分野を生かしてそれぞれの部門の長として切り盛りしていくのが理想とは思っているんですが、やってみないことには分からないですよね。
3人がそれぞれ独立した考えで動きすぎると、もはや別の経営になってしまいますし、そこのバランスは難しいと思います。
今の時点ではまだどうするのがベストか答えはでていないのですが、3人でどう経営を回すかというのが正直今一番の課題です。

 

アズマという会社を将来的にどういう会社にしたいと思いますか?

社)「強い田舎をつくりたい」や「みんなHAPPY!」という話は正直、状態としてそうしたいというわけではなく、漠然とした目標としているという感じなんですよね。
これらは決して何か数値として測れるようなものではないし、人それぞれ基準が違うもの。
だからこそ、目に見える状態としての具体的な理想像は「みんなが笑えて自由にできている状態になっている」ということでしょうか。
あと、最近ちょっと考えているのが、アズマを「かっこいい大人の製造装置」にしたいと思っています。
次の世代が憧れる大人を会社として生み出せるようになれば、きっとそれが会社にとっても地域にとっても好循環につながるんじゃないかと思っています。

 

勘)自分には実はかっこいい大人の具体像があって、それは昔オーストラリアにいた時働いていたステーキ屋の料理長なんです。
その人は当時英語もまともに話せない、入社して1、2ヶ月程度の自分に重要なポジションで挑戦してみないかと話をしてきたんです。
当然たくさん失敗をするんですが、責任はその料理長が取ってくれるし、忙しくても毎日帰りは車で送ってくれて、責めずに「明日またよろしくね」と言ってくれました。

今考えると、その人は自分に自信があったんですよね。仮に仕事を失ったとしても他のことをやればいい、だからこそ失敗を恐れず今の仕事でベストを尽くす。
そういう自信というのは正直なかなか持つのは大変です。

 

アズマの話になりますが、会社として社員ひとりひとりが自分自身の可能性も高めつつ、若い子たちにたくさん挑戦をさせることができる。そんな状態を作りたいと思っています。
また、稼いだお金を今度はどう地域に循環させ、還元していくかということも考えていく必要があります。まだ具体的なものは描けていませんが、これからそういう仕組みを作っていくことも面白いなと思っています。

「強い田舎をつくりたい」「みんなHAPPY!」「かっこいい大人をつくる」様々な想いを原動力に筑後地域で躍動するアズマ。
既存事業の枠にとどまらず、これからも「地域づくり」に邁進します。

株式会社アズマ

株式会社アズマ

2025.05/30配信